わたしたちについて
ABOUT DEERS
私たちの事務所は、行政書士法人です。奈良県内に本店を置く行政書士法人は、現時点(平成28年5月1日現在)では、私たち以外に2法人しかありません。ほとんどの行政書士事務所は個人事務所(個人事業主)です。
私たちは、平成28年4月に個人事業主形態から行政書士法人に法人化(移行)しました。事業拡大・売上増加という理由も勿論ありますが、それ以上にクライアントの皆様に対する責任と社員に対する責任の2つの理由が法人化の決断に大きく影響しています。
そのため、その行政書士に病気や事故などの万が一があった時、ご依頼に対応することが法律的にも現実的にも困難なことがあります。また、最悪クライアントの皆様の許可が遅れたり、取れなかったりという事態が発生するおそれもあります。
私たちは行政書士法人という組織として、クライアントの皆様の案件に取り組ませていただきます。上記のような最悪の事態を引き起こさないことは最低限のミッションとして、1人事務所では叶えることのできないサービスが提供できるよう、社員が一丸となって一生懸命サポートさせていただきます。
私たちの事務所には、代表の連以外に現在3名の社員が所属しています。平均年齢は32才と非常に若い事務所です。
若い社員たちはこれから家族を築き(養い)、社会生活をあと30年は営んでいきます。家族の社会保険や年金、車や住宅ローンの支払い。一生懸命働いてくれている社員を見ていると、個人事業主ではなく、きちんと法人に勤めているということが対外的な信用につながり、彼・彼女らの生活をもっと豊かにするのではないかと思うに至りました。
また、代表の連含めてそれぞれの社員が様々なバックグラウンドを持っています(詳細はこちらで)。だからこそ、各々が個性を発揮して生き生きと働ける、誇りを持てる職場を作りたいとの思いがあります。
彼・彼女らが生き生きと働ければ、きっと自らクライアントの皆様のお役に立とうと動くはずです。
法人代表・特定行政書士
連 紗智MURAJI SACHI
1980年生まれ 奈良県生駒市出身
野球で有名な奈良県立郡山高校に入学
バスケ部に入部し過酷な練習に明け暮れました。練習は非常にきつかったですが、この時の経験が現在の物の見方・人に対する考え方に大きく影響を与えています。
高校時代はとにかくバスケ三昧…すべての大学入試に失敗
高校卒業後1年間は、アルバイト・イギリス留学・予備校通い
今ではとてもいい思い出です。
一浪して神戸市外国語大学国際関係学科に入学
大学で国際法を専門としたことと、自分自身が法律問題に巻き込まれて法律の理不尽さを感じたことがきっかけで法律の世界に興味を持ち、その後立命館大学大学院法務研究科(ロース―クール)に進学しました。
フリーターをしながら30才まで司法試験の受験を続けるも不合格
約700万円の奨学金ローンを背負いながら就職活動をするも、社会人経験なし・独身・30代オンナにはなかなか就職先は見つからず、相当な焦りと不安を抱く毎日が続く。この時、自分は負け組の人生しかない、人生終わったと思いました。(⇒ 詳しくはこちらのブログに )
アルバイト先で行政書士という仕事に出会い、試験を受験し合格
平成25年 行政書士登録・開業
平成28年 奈良県初の女性代表行政書士として行政書士法人を設立
奈良県行政書士会 前副会長(2015年度・2016年度)
奈良県中小企業家同友会 青年部幹事
奈良市商工会議所会員
自衛隊大阪地方協力本部(予備自衛官2士)
バイク、バスケットボール試合観戦、旅行(主に海外)
お客様の元へは大抵バイクで駆けつけます。
奈良のバスケチーム「バンビシャス奈良」のファンです。
2014シーズンより当事務所はサポートカンパニーになっています。
バックパックを背負っての一人旅が好きです。
海外だと中欧・東欧を1か月ほど回ったり、東南アジアを1週間ほど回ったことがあります。
国内だと青春18切符で関東北部まで旅行したことがあります。年に1回は旅行に出かけることを目標にしています。
当HPをご覧いただき誠にありがとうございます。
専門家っぽくない。ざっくばらんに話ができる。いざという時にはすぐに駆けつけてくれて頼りになる。偉そうじゃない。対応が丁寧。すべて弊社クライアント様からいただいたありがたいお言葉です。
弊社職員の平均年齢は32才。まだまだ未熟な面もあるかもしれませんが、「クライアント様の理想を叶えるために必要なことは何なのか?」を常に考えたお手続の提案ときめ細やかなサービスは他には負けません!書類作成だけにとどまらない仕事をさせていただきます。
お客様のご要望には柔軟に対応しております。お気軽にご相談ください!
行政書士
古林 忠度FURUBAYASHI TADANORI
1984年生まれ 大阪府大阪市出身
行政書士
古林 忠度FURUBAYASHI TADANORI
1984年生まれ 大阪府大阪市出身
新設校という響きに魅かれ中高一貫校に入学(2期生)
中学校からそのまま高校に上がれるため、全然勉強せず、音楽や映画ばかりに夢中でした。(入学時は上から3番目だったのに、卒業時は下から数えた方が早い)
家から近いという理由で近畿大学法学部に入学
学校生活は楽しかったが、「このまま、なんとなくの人生でいいのか」と悶々とした日々を過ごしていました。そんな時に「最近の若者はリスクをとりたがらない」というある女性の言葉が刺さり、音楽にチャレンジしたいと思い大学を退学します。
ライブハウスで働いたり、音楽の勉強をするも続かず
結局音楽の道をあきらめてしまいます。しかし、同世代以外の大人と関わったことで色んな価値観に出会うことができました。そして、アルバイトでオープニングスタッフを経験したことで、「みんなでゼロから立ち上げる」チームプレイの喜びが忘れられず、事業の立ち上げを手伝う仕事がしたいと思い大学に戻ります。そして幅広く事業に関われる行政書士という仕事に出会います。
大学卒業後、設立1年目の会社に就職するも、2年足らずで経営難により退職を告げられます。机ひとつないガランとした事務所の最後の光景はいまでも忘れられないです。会社を続けることの難しさを実感するとともに、経営に興味を持ちました。
偶然、弊社の求人募集を知り、「経営の匂いがする」と思い応募。現在に至ります。
奈良県行政書士会所属
音楽鑑賞、バスケットボール
CDを借り続け、溜まった曲数は4万曲以上。学生時代は友達からレンタルショップと間違われていました。
小学生の時に「スラムダンク」を読みバスケットボールに目覚める。作者にお会いしたときに、緊張のあまり、目も合わすことができず固まってしまいました。いつでもプレイできるように車にバッシュとボールを常備しています。